小樽市の色内というところに所用があって、今日は小樽へ。
予定の時刻に合わせて電車に乗ったが、それでも、時間に余裕があったので、小樽の一つ前の駅:南小樽で下車。
観光客に人気のエリア、堺町本通りを経由して小樽運河へたどり着く行程をいくことにした。
私、小樽に住んでいたことがあるんだけど、最近また随分変わっているようなので偵察。観光を予定しているどなたかの参考になれば幸いです。
南小樽駅のあたりは高台になっており、JRの線路は掘割の底を走っている。
南小樽駅の駅舎は掘割の上側に位置し、ホーム・駅舎間の移動は跨線橋で行う。
このホーム・駅舎間の跨線橋と並行して市道住吉線の跨線橋(量徳橋)がホームを跨ぐように架かっていて、南小樽駅の駅舎正面はこの市道住吉線に面している。
ホームから改札へ。改札を出て右へ行くと駅正面の市道住吉線に出る。
小樽運河方面へ向かうには駅正面へは出ずに、裏口から出るのが近道。改札を出て左側が裏口だ。
まさに裏口というにふさわしい佇まい。
南小樽駅の裏口から出たら、線路と並行して高台から下って行く。
ここに「蔵屋」というラーメン店があったんだけど、なくなってた。
今は、総本店(マップ2)が近くにあるんだけど、もともとここで創業したんだよね。
文字通り、蔵をリノベーションした建物だった。
実は「蔵屋」の創業前、不動産屋でその「蔵」を一般に借主募集していて、当時、作業場兼住居を探していた私は見に行ったことがある。
蔵(倉庫)そのまんまでなかなか魅力的な物件ではあったけれど、リノベーションできるような予算もなかったんで流石に契約はしなかった。
写真撮っとけばよかったな。もう30年くらい前になるかな。
ちなみに現「蔵屋総本店」をもう少し先に行ったところにある「六味庵」(マップ3)は、ローカルB級グルメ「決まり丼」が人気。
さらに下って行くと、南小樽駅では掘割の底を走っていた線路が、ここまでくると高架になっていて、自分が高台から下って来たことに気づく。
次の小路の右に目をやると、「手打ちそば いろは」(マップ4)、さらにその向こうにラーメン店「らーめん一番」(マップ5)がある。
「手打ちそば いろは」は小樽市指定歴史的建造物には指定されていないが、昭和初期に建築された「北海織物株式会社」の社屋として近年まで使われてきた木造建築物。夜はレトロな雰囲気に浸って美味しいお酒も楽しめる店だ。
寄り道せずにさらにまっすぐ降りて行くと、入船通りに突き当たって、ちょうどそこにある小さいが朱が美しいお社が末広稲荷(マップ6)だ。
この辺りは、入船という地名で、小樽にはほかに末広というところがある。だから、なぜ末広稲荷なんだろうと思っていたが、由来を知って納得。
末広稲荷は、小樽の有名な侠客(きょうかく)だった末広こと鈴木吉五郎が、明治17年に京都伏見稲荷から分霊し祭ったもので、今年で120年にもなります。
吉五郎は、芝居小屋の末広座を興したほか、私設消防組も発足させました。〜(中略)〜
昔、入船かいわいは料亭や見番(芸妓(げいぎ))の手配をするところ)などが軒を並べ、花街としてにぎわっていました。末広稲荷も花柳界に働く人たちの信仰を広く集めていました。引用「おたる坂まち散歩」
お参りさせていただいて、進路を右へ。
すぐ隣にあった蔵だった建物がリノベーションされて暖簾がかかってることに気づいた。
ここはなんなんだろう?と思って調べたら、一日一組限定、石蔵一棟貸切の宿「蔵宿末広」(マップ7)。
気のおけない仲間同士や、家族で利用するのに良さそう。
そのまま進んで行くと、観光客に人気の堺町本通りの南端にたどり着く。通称「メルヘン交差点」である。
この堺町本通りはその昔-40年くらい前までは、観光客が押し寄せるような通りではなく寂れかけた通りでしかなかった。
今のようになり始めた初期の頃からあったのが小樽オルゴール堂(マップ8)。
そもそも、ここはブルーハウスという雑貨店の一店舗だった。そのブルーハウスがオルゴール専門店をここに開店。
ブルーハウス自体は自己破産してしまったが、オルゴール堂に絞って生き延びて社名変更、現在に至っている。(なんかドキュメント作れそう)。
そのオルゴール堂の向かいに位置するのが小樽洋菓子舗ルタオ(マップ9)。
こちらは、この堺町本通りや小樽運河が観光資源として注目を集め始めた頃、突如として出現した(私のイメージ)。
そもそも、小樽の老舗ではないんですね。新しい。
小樽洋菓子舗ルタオの本店はもちろんここですが。
とはいえ小樽観光に貢献していることは間違いないだろう。ここのドゥーブル・フロマージュは、数々のランキングで1位を獲得している銘菓。
さて、堺町本通りを通り抜けていこう。
しばらくいくと石蔵をリノベーションした北菓楼の小樽本館(マップ10)がある。
北菓楼は砂川市が本店。でも、私の大好きな菓子が多いので大歓迎。隣にはこちらは帯広市に本社を置くあの六花亭もある。
堺町本通りを歩いていくと、北一硝子の店舗がいくつも並んでいる。
北一硝子は、そもそも石油ランプの製造から始まったという。明治期のニシン漁の活況に伴い、漁業用のガラスの浮玉の製造を開始、一時代を築いた。
ガラスに変わるプラスチック製品の普及と、漁業の衰退とともに斜陽化が進んでいた。私が中学生だったった1970年代には、灯油ランプやアンティークっぽい古道具なども細々と販売する小さい店舗しかなかったと記憶している。
それが、小樽運河地区の再開発に伴い開設した観光客向けの常設ギャラリーが人気を博し、照明製造販売からガラス器の販売業への業態転換に成功、見事な大復活を果たした。
北一硝子に続けと言わんばかりに、他業者も多数参入。
今ではよく知られているように、「ガラス」は「寿司」と並ぶ小樽の観光資源の一つとなった。
北一ヴェネツィア美術館(マップ11)はイタリアの「水の都」として有名なヴェネツィアの文化を紹介している美術館。
ヴェネツィアングラスというガラス繋がりはあるにせよ、なぜベネツィアなの。世界中からわざわざ小樽を訪れる人には地元の本物で勝負してほしい。と思うのだが、本物のゴンドラやヴェネツィアングラスの銘品が見られるのは貴重。かなり本気の美術館。一見の価値はあるだろう。
もう少し進もう。
小樽市指定歴史的建造物に指定されている「旧久保商店」の建物をリノベーションしたカフェ「くぼ家」(マップ12)。
以前は「さかい家」というカフェで人気があったが2016年に閉店。翌年、大正硝子グループの経営でカフェとして再開した。
使用されている食器は当然、大正硝子館の手作りガラス製品。レトロな雰囲気に浸れる。
海鮮家 磯鮨(マップ13)の横を左に登る坂があるが、ここを登って左方向にさらに急な坂を上がっていくと、小樽港を見下ろす高台に水天宮(マップ14)がある。今日は行かないが。
桜の名所でもあるので、その季節にはオススメ。
左手にローソン(マップ15)が見えて来たら、堺町本通りはそこまで。
ここまでの間に、紹介した他にいろいろ楽しいお店がたくさんあるが、観光ガイドの情報以上にネタは持ってないので省略。
於古発川(「おこばちがわ」と読む。妙見川ともいう。)を越えて向こうは色内大通りとなる。右に折れてこの於古発川が流れる先が小樽運河。
逆に、左に曲がって於古発川に沿った通りが「寿司屋通り」だ。
真っ直ぐいくと、色内大通りは日銀通りと交差する。
交差点の右向かい角に見える小樽市指定歴史的建造物は、旧北海道拓殖銀行小樽支店(マップ16)。今は似鳥美術館となっている。
あの、♩お値段以上それ以上 のニトリの運営する美術館。
この交差点を右に曲がればすぐ小樽運河の撮影スポット、浅草橋がある(マップ17)。左の建物は前述の旧北海道拓殖銀行小樽支店(似鳥美術館)。
左に曲がる。右に見える建物は小樽郵便局。小樽市民は本局と呼ぶ。
歴史的建造物ではないが周りと調和する外観になっている。
少し行くと小樽市指定歴史的建造物、日本銀行旧小樽支店(マップ18)。現在は金融資料館として内部を見学することができる。
なかなか興味深い展示が多いので、時間があるときはオススメ。
さらに少し行くと、今は廃線となった国鉄手宮線が保存されていて、色内駅(マップ19)があるが、これは当時を再現したというわけではないようだ。
今日のランチはこの色内駅のすぐそば、飲み屋の並んだ中にある一軒。中華食堂くろ(マップ20)で。
たぶん花椒だろう、スパイスが効いたカツカレーが絶品。
ここまでの行程、ただただ歩いてくれば30分もかからない。途中買い物・見学の時間をプラスして考えれば、観光のプランが立てられると思います。
ご参考まで。
(訪問日:2019年5月18日)